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直ぐと真っ直ぐ

現代日本語で「ぐ」と書けば、「時間や距離の離隔の僅少な様」とでも謂った意味の副詞として諒解されるのが普通である。つまりは「これ直ぐ頼むわ」とか「直ぐに判るさ」とか「その店なら直ぐ眼の前ですよ」とか「直ぐ隣に在った」とか謂った用法に於ける「直ぐ」である。

さて、日本語には接頭辞「真」が在る。望ましい状態や純粋な状態を強調する際に前置される語であり、例せば「真っ正直」「真っ暗」等が挙げられ、この「真」を「直ぐ」に前置すれば、「真っ直ぐ」となる。

「真っ直ぐ」の意味を一言で表せば「少しも曲らない様」あたりが妥当な所か。何にせよ、「時間や距離の離隔」を云々する概念ではなく、いくら「直ぐ」を修飾しても「真っ直ぐ」には繋がらず、要するに先述の「直ぐ」とは殆ど関係が無い言葉に見える。だが、実際には勿論無関係ではない。「直ぐ」とは、「『真っ直ぐ』な様」を表す語でもあるのだ。第一、さにあらざれば、語の構造的に「直ぐの強調」である「真っ直ぐ」が「『真っ直ぐ』な様」を表すはずが無い。しかし現代日本語で「真っ直ぐな棒」とは表現し得ても、「直ぐな棒」とはなかなか表し難いものがあるのが本当の所である。精々が所、「直刃すぐは」あたりの語で稀に耳にする程度であり、殆ど古語や文語の領域であると言っても過言ではないかも知れない。

こんな歌が在る。

ふたつもじ うしのつのもじ すぐなもじ ゆがみもじとぞ きみはおぼゆる

これは悦子内親王の幼時に詠んだものであり、『徒然草』第六十二段にその記述が見られる。この歌は有名なものだから御存じの方も多いはずである。私の記憶に誤りが無ければ、1995年の『週刊少年ジャンプ』に『人形草子あやつり左近(原作:写楽麿/漫画:小畑健)』のおまけページで紹介され、そこでは「こいしく」ではなく「いとしく」の解釈であった(「と」が「横から視た場合の牛の頭部」と説明された)気がするが、さすがに記憶があやしく断言はできない。この解釈はもしかしたら当時の私が勝手になした解釈かも知れず、そもそも『人形草子あやつり左近』ですらなかったかも知れない。当時の『週刊少年ジャンプ』を所有する方の言を仰ぎたい。(話は逸れるが、私の姉と妹とが「『からくり草子あやつり左近』は最初『あやつり草子からくり左近』だった」と主張するので、これに関しても言を仰ぎたい。)

とまれ、ここに於ける「すぐなもじ」とは、現代語に直せば「真っ直ぐな文字」とでもなり、つまりは「し」の事である。「『し』は上に曲る曲線であり真っ直ぐではない」と反駁したい向きも在るかも知れないが、それは現代の活字が模索される中で「曲線の『し』」が採用されたに過ぎないのだと諒解していただきたい。日本の文書、特に平仮名は従来聯綿体として書かれるのが慣習であり、それは無論縦書で、なれば当然「し」は、次の文字に繋がる便宜として、上に曲る事は無く「殆ど直線」の形で書かれるのである。しかしどちらにせよ、「し」は「真っ直ぐ」と「真」を以て表す程に「真っ直ぐ」ではなく、されば強調されない「直ぐ」としていかにも相応の好例であると見受けられよう。

また、「うしのつのもじ」は「い」であると解釈するのが普通だが、この仮名遣は歴史的仮名遣の観点からは「誤り」である。歴史的仮名遣で「恋しく」を表せば「こひしく」となるのである。「こひ」は動詞「こふ」の名詞化したものであるし、第一「恋の焔」の「焔」や、「恋焦がれる」の「焦がれる」が、「こひ」の「ひ(火)」の縁語である以上、「恋」は「こい」ではなく「こひ」である必要が有るのだ。悦子内親王の生きた十三世紀中期から十四世紀初期頃には既に発音と表記との齟齬が甚だしいものであった(実際にはこれより何百年も昔からだが)事がここからも実感せられる。因みに行阿が藤原定家の『下官集』に拠って『仮名文字遣』を著し、所謂「定家仮名遣」が一つの規範となったのは悦子内親王の没せしより、概そ三十年以上の後である。閑話休題。

「真っ直ぐ」の意味での「直ぐ」が現代に於いて殆ど存在しない一方、それの強調表現である「真っ直ぐ」は残存し、「直ぐ」は「真っ直ぐ」と繋がらない方の意味こそが一般化した、この事は私にとって非常に興味深い事である。

平成十七年十二月十三日識